公開: 2021年4月26日
更新: 2021年6月7日
1990年代の初め、日本政府は対米輸出に強く依存していた日本経済と産業を守るため、ドル高円安が最良の経済条件であると考えていた。例えば、対米輸出の比重が高かった日本製乗用車の場合、1ドルが125円前後の為替相場であれば、自動車メーカは大きな利益を上げることができた。日本国内で150万円で売られていた自動車は、米国市場では1万2千ドル以上の価格で売れたからである。それは、米国社会では、品質を考えると、買い得な価格だったからであった。
それでも、日本での人件費は、まだそれほど高くなく、工場の労働者に支払う賃金は年間400万円程度であった。それは、ドル換算で3万2千ドルになる。米国内の労働者の一般的な賃金と大きく変わらなかった。しかし、1ドルが100円になると、日本国内での給与額は変わらなくても、ドル換算の給与は、4万ドルとなり、米国の平均的な労働者の給与を大きく超えてしまう。自動車の価格も、1万5千ドルとなり、高級車に近くなる。米国市場での日本車の価格競争力は落ちるのである。
そのような状況から、日本政府は、公式には政府として為替市場には干渉しないと言う立場を表明していたが、日本銀行は、既に多額のドル資金を保有していたにも関わらず、市場が円高に進もうとすると、為替相場の安定を理由にドル買いを実施し、円を放出して過度な円高を防ぐような対応をし、大蔵省もそれを認めていた。米国のクリントン政権は、そのような現実を見て、米国政府もドル売りを進めて、円高ドル安を誘導するべきであると考えた。
現実にクリントン政権が行ったことは、「円は安すぎる」と公式に表明しただけである。この米国政府の表明だけでも、為替市場は敏感に反応し、円買いに動いたのである。為替市場も、米国政府の意向を確認しながら、少しずつ円高を進めたのである。このため、ドルは、125円前後から、じりじりと値を下げ、110円台、100円台と進み、90円台に突入した。その後、1995年の阪神淡路大地震からの復興のため、日本社会が多額の円資金を必要としたため、円の買戻しが進み、結局、1ドル70円台まで、円高が進んだのである。